12月 282013
 

年末テレビの討論バラエティで、元皇族を売りにしている評論家と、男性タレント(だと思う)が、広島原爆慰霊碑に書かれている「過ちは繰り返しませんから」という言葉について、この「言葉の主語は誰か?」とか、それは「次の戦争の時には負けるような過ちは繰り返しませんから」と読むべきだと叫んでた。女性タレントが、原爆慰霊碑の言葉を読んで平和の大切さを考えた、と発言をしたことへの反応らしい。

正月を間近に縁起でもないが、となりに座る三男を見て、もしかしたら、こんな奴らにこの子や(できるかどうかは知らないけど)孫が殺されるのかもしれないな、と考え込んでしまった。

太平洋戦争でも、ルワンダや旧ユーゴの内戦でも、こんな風に無責任は国粋主義や偏狭な民族主義をあおって個人的利益(出演料だったり、個人的な鬱憤解消だったり)を得ようとすることが、新聞やラジオやテレビ、ネットと時々のメディアで持ち上げられて不安定な世論を後押しした訳だから。

ちなみに「言葉の主語は誰か?」という発言はネットからのぱくりだった。「過ちは…」の正確な文章が知りたくて、Googleで検索をかけたら、検索結果の一番最初にこの趣旨をタイトルにしたブログがヒットした。ネット検索トップからのパクリでギャラをもらう評論家って。。。

タレントと評論家は、原爆について日本は被害者だ、国際法違反だ、「過ちは…」なんて言葉が自虐的だという趣旨のことを言っていた。一応、一般人よりモノを知っているという前提でギャラを得ている人間が、戦争を正義と悪、被害者と加害者に分けられるという超単純な思考回路を披露することがまず理解できない。戦争は外交の失敗で、それをなんだかんだ支持してしまった国民抜きには遂行できるわけがない。原爆に代表される非戦闘員に対する無差別航空攻撃は、枢軸国と連合国どちらか一方の悪者がやったことではない。つまり、ピカソの壁画で有名な1937年のドイツによるゲルニカ爆撃、そして1938年の日本による重慶爆撃は非難されたが、第二次大戦後半では、東京爆撃やドレスデン爆撃のように連合国側も普通に行っていた。つまり、無差別空爆は、当初こそ交戦法違反として非難されながら、結局は戦争遂行に不可欠な一般的な戦略となってしまって、今に至っている。その意味では、原爆は、意識的、無意識的に戦争を支持した私たち日本国民の誤りでもあったのは間違いない。国が戦争に動いていくときに、それに異議を唱えるのは容易なことではないだろう。たぶん、私も投獄されるのは嫌だし、家族がいるので失職して経済的損失を被る勇気もないだろうから、流される一員になりそうな気がする。だからこそ、念仏のようなモノだと承知の上でも「過ちを繰り返しません」という言葉を真剣に受け止めるべきだと思うし、子供たちにも同じように教えるべきだと思っている。

あと、20世紀以降、戦死者の圧倒的多数は非戦闘員であるということも。

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