オランダの新聞Volkskrantが速報メールで「夜7時から女王が国民にメッセージ」と伝えてきたので、テレビを付けたら、4月いっぱいで退位して、息子の皇太子ウィレム・アレキサンダーに王位を譲るという話をしていました。
即位式は4月30日だけど、教会での宣誓(場所は教会だがその内容は世俗的と新聞には書いてあった。この辺は実にオランダらしい)がメインのシンプルなものになる予定とのこと。オランダ王室は国民の中の筆頭者というイメージが強く、権威とか神格といったおうぎょうなシンボル操作からは遠い。4月30日は、先代ユリアナ女王の誕生日。女王誕生日は、誰でも自由にフリーマーケットを開ける日として親しまれているのだけど、現女王の誕生日は1月31日と真冬なので、あえて先代女王の誕生日をそのまま女王の日にしているらしい。この辺も、フレキシブルというか、プラグマティックというか。新聞によると、次の国王の誕生日は4月27日なので、そっちに国王の日が移動するだろうとのこと。
うちの息子たちの小学校はウィレム・アレキサンダー皇太子学校というのだが、5月からはウィレム・アレキサンダー国王学校になるのだろうか。。。名前は大げさだけど、ただの公立学校です。
今、オランダ植民地時代の東インド司法制度について研究をまとめているが、司法制度を分類する一つの基準は、裁判が「国王の名において」行われるか否か。つまり、それによって国王の代理人たる植民地政庁の司法か、そうでないかが区分されることになって、適用される法律・裁判官の人事も変わってくる。18世紀~20世紀、国王と議会の政治的関係はかなり変動があって、その変動が東インド司法制度にも微妙に関係してきているのを資料から垣間見ることができる。そんなわけで、今回のニュースを見ていても、19世紀の資料が頭の中をぐるぐる回っていた。