プログラムについて

2018年4月、名古屋大学国際開発研究科は、「包摂的な社会と国家」プログラムを新設しました。このプログラムは、複数の社会科学領域にまたがる独特の考え方に基づいています。

私たちの社会は、様々な秩序から成り立っています。国や会社はすぐに思いつく秩序かもしれませんが、宗教や文化、ジェンダーや民族などの様々な社会関係、それらが埋め込まれた慣習や思想、町内会やNGO活動なども、社会秩序の一部であると言えます。国際開発研究科の新たなプログラムを作るとき、まず私たちが思い描いたのは、そうした社会秩序について、多元的な視点から理解できる専門家(研究者だけでなく、国際機関職員や政府関係者、NGO、記者や企業人なども含む)を育成したいということでした。

私たちは、どんな秩序であっても等しく理解するべきだけれども、何がより望ましい秩序かも重要だ、と思いました。もっとも、そうした望ましい秩序についての考えをまとめるのは、容易ではありませんでした。社会秩序は、現実には国家や政府そして多様な社会勢力の間で争われ、作られているものですから、ある人々には望ましい秩序が、別の人にはそうでないことも多いです。また、無意識のうちに受け入れられていたり、長い間に当たり前になった秩序もあるでしょう。文化や価値観(一つの秩序)が、企業の役割やジェンダー関係(これも一つの秩序)を作っていることもあります。秩序は、それを作り出したり受け入れたりする人々の視点を抜きにしては語れないものでもあるわけです。

そうした中、我々は「包摂性(inclusiveness)」という考えにたどりつきました。

「包摂性」という言葉は、「持続可能な開発目標(Sustainable Development Goals, SDGs)」でも重視されており、開発や成長が格差や偏りをともなうことなく、すべての人々にとって公正で開かれたものでなければならないという価値観を示しています。具体的には、女性や貧困層、マイノリティ集団、特定の地域等が排除されたり周辺化されたりする現状を分析し、いかに望ましい方向へ変革していくかが課題となっています。経済的福祉を増やすだけでなく、それがより公正に行われなければならないこと、とりわけ排除されがちな人々が意見を述べたり、重要な決定に参加できたりする機会が必要であることは、国際社会や先進国・途上国で広く認められるようになってきています。このように、社会や国家における秩序が「包摂的」であることの重要性は、今日の世界においても、社会科学の諸分野においても広く認められています。国際開発研究科の他のプログラムや日本国内外の多くの研究機関でも、同様の認識を持っていることでしょう。

では、いかにして包摂的な秩序が実現するでしょうか。そうした社会秩序の改善に貢献したいと願う人々は、何を学ぶべきでしょうか。

実はこれについて、明確で普遍的な答えが存在するわけではありません。何について取り組むか(国家の制度や政策?社会関係や文化慣習?その他?)、どのような手法で取り組むか(質的?量的?思想や理論の研究?)、いつの時代のどの社会や国について取り組むのかによって、答えは異なるでしょう。

私たちは、専門的な知識を習得することと同時に、現実課題についての広い視野と、様々な人々の立場に立った多元的な視点が必要になると考えています。

包摂的な国家や社会に向けた課題を分析するには、人びとがどのように国家や社会秩序を作っているのかを解明することが必要です。例えば、国家制度や社会秩序を形づくる代表的な仕組みに、「法」あるいは「法律」があります。冷戦の終焉以降、国際協力において「法の支配」が強く求められるようになり、「持続可能な開発目標」にも「法の支配」の確立が含まれました。これは、法が持つ、公平性、公正性、基本的人権の保護といった機能が、人々の包摂性の実現に貢献するという前提に基づいています。実際、人類は近代市民革命以降、法にそのような機能を求め、かなりの程度、目標を達成してきました。しかし、さまざまな社会において、法が期待通りに機能するわけではありません。特に開発途上国・非西洋諸国では、法の機能に必要な前提が不足していたり、または異なっていたりすることもあります。法律が多様な言語集団にとって読解可能に書かれていない、裁判所が遠すぎる、裁判官や警察など法を守らせる公務員に給与が払えない、国の作った法律と自分たちが慣れ親しんでいる社会のルールが違いすぎるなどです。もしそういった現実を理解し、解明したならば、それに合わせた法制度を考えることが必要になります。もしそうした広い視野を欠いたならば、法制度改革は一部の人々を実際には排除してしまう恐れもあります。

国の政策決定においても、「包摂性」が重要な意味を持ちます。もし制度や社会秩序が、特定の人々を排除したり、特定の考えに耳を傾けないような方法で作られたならば、それは一部の人々を排除する性質が強いものになるでしょう。そうした決定は、短期的には実現できたとしても、長期的には必ず問い直されざるをえず、修正を余儀なくされるでしょう。こうした問題は、ジェンダー問題、地方政府の政策課題、資源採掘企業と住民との関係、民族問題といったテーマにおいて見られます。そうした多様なテーマにおいて重視されるべきアプローチとして、私たちは「包摂性」に注目することにしました。

本プログラムは、このような考えに基づき、法学・政治学・社会学・文化人類学・歴史学などを架橋した学際的アプローチから、どのように公正で開かれた包摂的な国家と社会を実現できるのかを考えることを目的としています。